父の闘病生活!
2021年9月、60歳(還暦)を迎えた父のために僕たち家族はサプライズのパーティーを用意していました。
その時の父は,「風邪をひいて声がかすれちゃってる」と言っていて、たしかに声があまり出ていなかったのを覚えています。
2週間以上声が出ない状況が続き、なにかちょっとおかしいと思ったので病院に行くことを勧めました。
父は仕事帰りに病院に行くことにしました。
病院で検査をして胃カメラで特に異常はなしという結果!
しかし、血液検査の結果で異常な数値がでている項目がありました。
その数値が高いのは「癌の可能性がある。早く大きい色々な検査ができる病院に行った方がいい」と、医師に伝えられ、書いてもらった紹介状を持ってしっかりとした検査が受けられる病院に行くことになりました。
最初は消化器内科で胃カメラ、大腸内視鏡検査、血液検査、CTをやったが血液検査以外は異常がなく呼吸器内科に移ることになったのでした。
呼吸器内科でも検査は多かったです。
検査でやっと不調の原因が判明。
検査の結果、父の病名は肺癌でした。
本人は癌って言われても冷静で、まだこの病気の怖さを感じていなかったんだと思います。
僕は、いつもと変わらない態度でいようとして涙が出そうになるのを必死に堪えていたのを思い出します。
父の場合、癌が発覚したときはステージ4!
ステージ4と言うとかなり進行していて、末期癌と言われる状態です。
他の場所にも転移が見られその部位だけ治してもまた他のところに癌ができてしまいます。
そのため抗がん剤による抑制、癌の進行を遅らせる治療をすることになりました。
完全には治らない!つまり治療ができなくなった時が最期のときになると言う事です。
病院には僕が車を運転して連れて行くことになりました。
(このおかげで僕は鬱でも外に出られるようになった気がします。)
当初ネットで調べたり病院の先生に聞くと、抗がん剤の治療は最後は辛くて自分からやめてしまう人が多いと知りました。
父が「治療すれば生きられるかもしれないのにやらないなんてもったいない」などと話したのを覚えています。
◎肺がんの薬物療法(少しでもながく普通に近い形で生活出来るようにする)
最初の抗がん剤(抗がん剤って患者さんによって違い色々な薬がある)のときは
カルボプラチンという点滴で投与される薬と
エスワンという飲み薬を朝と夕方の2回を7日間。
この2つを3~4週間に1回やる。
これを計4~6回繰り返す。
抗がん剤には副作用もあり、体調に合わせて約半年間病院に通った。
抗がん剤→検査・回復期間→検査→抗がん剤
こんなイメージ!
4クールやった所である程度、肺がんの進行が落ち着いたので薬物療法を1度ストップすることが出来ました。
抗がん剤が効いているからと言って体力を削りながらやる治療をずっとやり続けることは出来ないのです。
ちなみに良く聞く副作用で頭がツルツルになると言いますが、この時点で父の髪の毛はまだ抜けていなかったです。
◎やっておいた方がいい事
◎限度額適用認定証の申請
◎少しでも多く本人のやりたかったことをさせてあげること
高額医療費制度というものがあるが、先に払っておいて後から返還される制度なので返還までの期間や手間がかかる。
それなので父の場合は、先に限度額適用認定証と言うものを保険に申請した。
これがあれば限度額を超えた分は控除されるため、病院窓口での負担額を減らすことができる。
どちらを使っても負担する金額は変わらない!
病院の帰りは父と二人で外食をしました。
兄弟がいることもあって小さい頃は父と二人きりで外食するのって初めてだったとおもいます。
父の体調がいい時をねらって出かけたりもしました。
病気がわかって以来、家にいるようになった父はよくテレビを見ていました。
中でもお散歩の番組が好きで、僕に話してくれていました。
行けない距離じゃなかったので、父を誘って二人でお散歩旅!
歩くスピードが遅くなった父に歩幅をあわせゆっくり歩きました。
父は好物のくず餅を見つけ迷わず購入!
子供のようにニコニコして楽しそうにしているように見えました。
行っておいて本当によかったと思います。
◎父の肺がんが再び動き出す!
1回目の薬の効果が薄れ始めたと言うことはもう同じ薬は効かないということです!
そして、1回目の薬によって体力を落とした身体にはそれ以上強い薬は使えないと言う事でもあります!
2回目の抗がん剤はアブラキサンという薬でした。
この薬をやり始めてから肺がんの抑制はできているものの副作用で味覚や手先の感覚に少しずつ異常がではじめました。
食べるものが美味しくない!少ししか食べられなくて体重が減っていく・・・
次第に弱っていく父の様子が辛かったです。
2023年3月、父に発熱や目眩のような症状が出はじめます。
この時くらいから耳の聞こえも悪くなっていたようでした。
4月になっても症状が改善されず、頭部のMRI検査をして脳への転移が発覚。
この転移は本人も恐れていたことでした。
一縷の望みをかけてガンマナイフというピンポイントでがんに対抗する治療が出来ないか専門医のいる病院を受診。
結果は駄目だった・・・
脳は髄液という液体の中に浮いているらしく、脳そのものに転移というよりは髄液の中にがん細胞がいる状態で全体に付着しています。
そのため全脳照射という頭全体に放射線をあてる治療を受けることになりました。
この治療中に抗がん剤を中止していたためか、がんの進行が早く(髄液は脊椎にも行っているらしく)薬物療法を断念するしかなくなってしまった。
これは、最期の時が近づいているということです。
医師に言われた余命は1ヶ月~2ヶ月。
父がとった決断は緩和ケアでした。
家に帰って在宅医療サービスを受けるには家族の負担が大きすぎると判断した結果だと思います。
こんな状態になっても父は家族を想ってくれているのを感じたのと同時に自分の無力さを感じました。
残された時間、なかなか会うことは出来ないが連絡をとっていきたいと思います。